夢窓疎石 室町時代最強の男

クラシックを学ぶ方にとって色々な美術を見て回ることも必要ですよね

 

今日はあらゆる美術の中で私が大好きなのはなんといっても“庭園”です

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この美しい日本の庭園美術に大きな影響を与えた人物、夢窓疎石(むそうそせき)の人生を年表にして紹介していきます

 

夢窓疎石 1275~1351

伊勢国に生まれ後に甲斐国疎開

真言宗天台宗禅宗を学ぶ。

1325年後醍醐天皇の要望により上洛。北条高時を仲介人にする。南禅寺勅願寺)の住持となる。

1326年北条高時に招かれ円覚寺に滞在。二階堂貞藤、金沢貞顕らから帰依される

1330年甲斐国恵林寺を開く。(1582年織田信長に焼き討ちされ、その際、快川紹喜が「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と辞世の句を読む)

1331年阿波国細川顕氏に法衣を授ける。後の足利三管領家(斯波、細川、畠山)の細川家

1333年後醍醐天皇から国師号を授けられる

1336年後醍醐天皇をみすて南禅寺から離れ臨川寺へ逃げる。足利尊氏を弟子に取る

1338年全国に安国寺、利生塔を建てる。

天龍寺を建てるため天竜寺船を元に送り造営費を稼ぐ

1342年土岐頼遠事件(酔っぱらった土岐頼遠光厳上皇を弓で射ようとする事件)が起こり臨川寺に逃げてきた頼遠を一族断絶の代わりに頼遠の斬首と引き換えに土岐家の一族断絶を救う。

弟子の妙吉の策動がきっかけとなり起きた観応の擾乱高師直足利直義の対立が原因でおこった争い)を仲介、直義を出家させる。

1351年光厳上皇から国師号を賜る。尊氏は「永遠に足利一門は帰依する」と誓う

存命中に3度死後に4度国師号を賜り七朝帝師と称される(夢窓国師・正覚国師・心宗国師、普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師

 

天龍寺恵林寺などおおくの庭園を設計した夢窓疎石はなんと鎌倉時代から室町時代を生き抜いた大僧侶だったんですね!

 

因みにちらっとでてきた土岐頼遠(ときよりとお)もなかなか面白い人物なので興味のある方は是非調べてみてください

簡単に言うと酒癖が悪くて打ち首になった人物です笑

 

夢窓疎石の設計した庭園は世界遺産にもなっているので是非見に行ってください